h  o  n  e  y  m  a  k  i  の 癒 し の 空 間
ちょっと 不思議な おもしろい お話
 
甘露
『癒しのぶたさん』の名前、『あとん』
『癒しのぶたさん』の不思議
大天使ミカエルの助け
手放せば流れる
 

『甘露』 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

一般的に不思議と言われる話は沢山あります。

でも、もう、不思議が当たり前になっているので、何書いていいのやら^^

 

今東京の下町に居るのですが、約3年前、来てそんなにたっていない時、色々あって(ホントに^^)

疲れも出たのか、寝こんでいたときのことです。

ある朝

『甘露』

と浮かびました。

『甘露』

かんろ?

『甘露』

何度も

甘露は甘露アメしか知らない私は、なんで子供のころ食べた記憶があるくらいのアメの名前が?

なんで?

と思いました。

私は、こんな感じで突然浮かんでくることがあります^^

後で調べてみよう・・・いつもそう思って書いておいたりします^^

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

《(梵)amtaの訳。不死・天酒の意》天上の神々の飲む、利天(とうりてん)にある甘い霊液。

不死を得るという。

転じて、仏の教え、仏の悟りにたとえる。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

この時期は、天使と常に一緒にいました。・・・そんなキツイ時期でした^^

天使軍団呼びまくっていました^^

「ありがとうございます」も言い続け、「ありがとうございます」を25000回は書きました。

みんなが上手く行くことを祈り続けていたときです・・・色々あって^^(書くと長くなりそうなので、いづれ又)

そんな時降ってきたメッセージです。

 

ご褒美だったのだと思います。

「まき、頑張っているね」って^^

もちろん、その辛い状況はその後色々な奇跡をへて解決しました^^

おしまい。

 

『癒しのぶたさん』の名前『あとん』 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

『癒しのぶたさん』の名前がず〜っとわからなくて、

『癒しのぶたさん』と言ってきました。

でも、少し前の朝、教えてもらいました。


まだ、半分寝ている私の心に・・・

言葉が浮かんで来ました。


『あとん』

「ん?あとん?」

『あとん』


「ん〜?」

「あとんってなんじゃ」

「あとん?もしかしてぶたさんの名前?」

「そっか〜^^」

とんは、ぶたさんでしょ?ちょっと安易かな〜^^」

は、?」

「ありがとう!」

「ありがとうの、あだ〜」

ということで、ぶたさんを描き始めて、10年以上。

やっと教えてもらえました。


そして、このホームページも『あとん』にしました。


あとんは私でもあります。

私を導いてくれるハイヤーセルフのhoney makiと同じだと気づきました^^・・・納得^^


おしまい。

 
『癒しのぶたさん』の不思議 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

私にとって動きの取れない辛い時期、(主人が亡くなったり・・・)

描くことで自分を見つけようとしていた時期だったような気がします


初めは色々な絵、色々な動物を描いていましたが、それがいつのまにか、

浮いたぶたさんの絵ばかりをクレヨンで描いていました。

その後、ある、チャリティ絵画展で誰でも買えそうな小さな絵ということでこのぶたの絵を描きました。

それが『癒しのぶた』と言われ、導かれるように描くようになりました


ぶたさんの絵を展示する機会も出来たり、置いてくれるところも出来たり、

ほんとうにまわりの流れに乗っているだけでした。

そして、心の安心の世界を探し続けていた私はスーパーレイキと出会いヒーラーとなりました。

その流れのまま、スピリチュアルの祭典の『すぴこん』に出展の機会をいただき、

ぶたさん達のグッズのお店を出展することになりました。


そこで、 不思議なおじさんと出会ったのです。その時の内容を紹介しますね。

すぴこん会場であった出来事です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

店の前に立ってぶたさんの絵を並べ変えたりしていた時、見知らぬおじさんが話しかけてきました。


おじさん:

「なぜ、ぶたなのですか?」

私:
「さあ、なぜ、ぶたなのでしょう^^」

おじさん:
「ぶたを描いた時、何か感じましたか?」

私:
「いえ、特に・・・」

おじさん:
「何か感じませんでしたか?」

おじさんは、なかなか立ち去ろうとせずに、私がその時、何か気づかなかったかと、何度も聞いて来ました。

私:
「いえ、・・・気がついたらぶたを描いていました」

「そして、今思うと・・・私はこのぶたさんに癒されていたようです」

「まわりの人に癒しのぶたと言われ、青山で個展のようなものをやりました。

それも私からではなく私は後から付いて行っているような・・・ぶたさんがひとり歩きしはじめて・・・」

そんな、人ごとのように話す私に

おじさん:
「ちょっと離れたところでお話が・・・良いですか?」

そういってちょっと離れたところに連れていかれました。

お店をてつだってくれていた友達は、知らないおじさんに連れて行かれたもので、焦ったらしいです^^。


そして、おじさんは少し上の方を見つめながら話はじめました。

私の名刺を見ながら

おじさん:
「お名前はmakiさん?

・・・あなたがぶたを描いているのを見て、ぶたが好きなんだと思った。と言っています。

makiはぶたが好きなんだな、と思ってその時、繋がったと言っています。

う〜ん、そうですね、

言っているのは、神と思って良いです」

私:
(- -)

私は、最近ちょっと気になっていたことを聞いてみました。

私:
「ちょっと聞いて良いですか?・・・

以前世話になったスピリチュアル系の先生が、私のことをちょっと前は白、最近は、透明に感じると言われました。

ぶたさんに関しては、いろいろに感じると言われ、そのぶたと一緒であなたのようです。

と言われましたが・・・?」

おじさん:
「それは、なかなか無いことです。このままで良いですよ」

「ほとんど、悟りの中です」


「それから、言っています。

これからも、もっと絵を描くようにしていって、良いですか?と」


私:
「はい、お願いします」

「それと・・・今回すぴこんの準備中いろんな展開がありましたが、この会場に来るまでが意味があったような気がしています」


会場に来た時点で、もう終わった気になっていた私は聞いてみました。

おじさん:
「はい、あなたが動くと、あなたにかかわった人のまわり、6人に変化を与えます」

私:
「このまま、進んで良いのですね^^」

おじさん:
「はい」

おじさんは、これで任務が終わったかのようにスッキリして去っていきました。

おしまい。
 
大天使ミカエルの助け 2009.03.06 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

もう
ここ(東京下町)に住んで2年以上になります。

その時期、葛藤の中に身を置いていました。
言葉ではハッキリは言われませんが、「あなたの自由はないよ
」と言われているような状況にありました。

そんな不自由がたまらなくなって、とても苦しい思いをしていました。

家と会社の両方でそれを感じていたように思います。(もう忘れかけています^^)

夜の会社帰り、あまりに苦しくて、駅のホームを歩きながら

「大天使ミカエル! 
大天使ミカエル! 助けて下さい!・・・」

そう心から言いつづけました。

次の朝、会社に行こうとしていた私に友達から「休んでも良いんじゃない」とメールが入り

そういう選択があるのに気づきました。


「そうだ、東京の下町に住んでる友達のところへ行こう」

大学時代の友達で、少し前再会して、遊びに行っては近所を案内してもらっていました。

東京下町界隈は私にとって、とってもほっと出来る場所でした。


そうして、いつものように散歩して、友達のお母様も一緒に食事をしたり、お話したり・・・



そして、

横浜の家に帰って来たとたん不思議なメールが入ったのです。

そのメールを見たとき、『天からプレゼントが降ってきた!』としか思えませんでした。

こどものように、喜んだのを覚えています。

それから、何日もしないうちに、私は、東京下町に住むことが出来るようになったのです。

詳しい内容は、一般常識を重んじるこの世界では文章にしにくいので、すいません。

祈りは天に届き、つまり奇跡がおこったということです。

おしまい。
 
手放せば流れる ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

神奈川の秦野から子どもと横浜に来て

(主人がガンになり辛い抗ガン剤治療などの後、鬱になり精神的に病み、小さな子どもにも優しくできない人になり、私も鬱になり始め、別居しないと家族が壊れると医者にいわれ、取りあえず離れました。その後、私はパニック障害になり・・・いろいろ^^)

心を病んで、仕事も無く、3人の子どもとのこれからの生活がなにも見えず

息をすることも苦しい時の話



結婚まで、フリーのデザイナーをしていて、ふわふわ生きていた人でした。

それまではアナログだった訳で、

復帰するには、「マッキントッシュの出来る方」とPCの時代になっていましたし

年齢も充分でした。

ものごころついた時から紙と鉛筆をもって絵を描いていたひとです。

私の表現手段だったのでしょうね。

他に何が出来るのか、不器用な私には想像もつかず、不安でいっぱいでした。

「家にずっといたらもっと辛くなるから会社で絵を描きなさい」と姉に言われ、
(病んでいて、この時生活保護をもらって生活してました)

姉の会社で絵を描いていました。

ここで、ぶたさんの絵が生まれた訳です。

そんな時、大学時代の友達から、新しくデザイン事務所を作った連絡がありました。

社長をやっていた前の会社の負債を抱えひとりでやり直すことにしたのです。

それは年末のことでした。

年が明けその友達から年賀状が届きました。

イノシシの絵のついた年賀状。

友達は大変なのに私のことを気遣ってくれました。

私も、友達の為に久しぶりにスーツを着て、営業に行ってあげようと出かけたりもしました。

ふたりとも相手のことを思いやる心が力になったようです。

年が明けしばらくして友達の事務所に行った時、私は軽い気持ちで言いました。

「あのもらった年賀状の絵、私のイノシシだよ」

以前からある出版社から毎年干支のイラストを頼まれてかいていました。

友達が言うには、

「取りあえずイノシシの絵を描いて出そうとしていたんだけど、

こどもが、「おとうさん、このイノシシ元気ないよ」と言うので、急いで本屋に行き沢山の本の中から絞って、

最後の一冊の中のあのイノシシに決めたんだ」

それが、私の描いたものでした。

それから、私はMcを買い、友達の事務所でいっしょに仕事をするようになりました。

ずっと後で話してくれたのですが、私から、イノシシのこと聞いた時、背中がぞわぞわっとして

「まきと仕事をしなさい」と聞こえた気がした。って



ちょっと、はしょりましたが、


あるきっかけで、絵しかできないという思いを完全に私が手放したことで、
(食べていくために仕事を選べない状況になってましたから)

欲しかったものがウソのように流れ込んで来た話です。

又絵が描ける世界を、絵を手放すことで、得ました。

その時は絵を諦めることは自分自身を手放すようで

最後まで心の中で戦いました。

そして手放し、

何でも受け入れることの出来る自分が現れたとたん、

おもしろい流れが起こりはじめました。


欲しかったものが、どんどん流れて来ても、もうその時点では凪の心になっていたので、

「やったー!」 なんて小躍りすることもなく、たんたんとしていたのを覚えています。

本当に手放す、執着をほどく、とはそういう心境なのだと知りました。


なので、ずっと後で「あれっ」と気づいたのでした(^^)

このイノシシの絵は神様の洒落た展開に使われた?^^

良い経験でした。

おしまい。

Copyright(C) 2006 honey maki.All Rights Reserved.
inserted by FC2 system